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クロサカ タツヤ tatsuya_kurosaka

株式会社企(くわだて)代表。慶應義塾大学・大学院(政策・メディア研究科)在学中からインターネットビジネスの企画設計を手がける。三菱総合研究所にて情報通信事業のコンサルティング、次世代技術推進、国内外の政策調査・推進プロジェクトに従事。2007年1月に独立し、戦略立案・事業設計を中心としたコンサルティングや、経営戦略・資本政策・ M&Aなどのアドバイス、また政府系プロジェクトの支援等を提供している。

「パーソナルデータ利活用に関する制度改正大綱」の主要論点(修正・追記あり)

「パーソナルデータの利活用に関する制度改正大綱」(以下パーソナルデータ大綱)がまとまった。6月24日にIT総合戦略本部で決定され、現在はすでにパブリックコメントにかけられている。

2014.07.01

INTEROP TOKYO 2014の季節がやってきました。

 昨年のINTEROP TOKYO 2013に引き続いて、プログラム委員を拝命しました。今年の個人的なテーマは「公共・政策」です。確かに近年、INTEROPコミュニティにおいても重要なテーマになってきたと感じます。

2014.05.30

ノキアシーメンスネットワークスの「シムテルコ」

NSNのカンファレンスは、まずは業績発表と見通しから。ラジーブ・スリCEOは、ソフトバンクによるスプリント・ネクステル買収を引き合いに、特に北米市場が今後重要になるとの見通しを発表しました。

2013.03.05

挑戦権を得たファーウェイがスベらないために

私のバルセロナでの予定は、開幕前日の日曜午後に予定されている、ファーウェイの製品発表会から始まりました。お目当ては、Ascend(アセンド) P2です。さて、発表されたそれは...。

2013.03.04

バルセロナぶらぶら節~ バルセロナは不穏な空気

今年のバルセロナは治安が悪い--これが日曜の早朝に入った私の第一印象です。私が知る限り、5人以上の日本人のジャーナリストや通信業界関係者が、端末などをスリや窃盗に奪われています。

ソフトバンクとスプリントが直面する先進国通信市場の課題

ソフトバンクのスプリント買収の発表から10日あまりが過ぎ、過熱した報道も一段落した。しかし、落ち着いて考えてみればみるほど、今回の買収の真意をどう理解すべきか、実に難しい。

2012.10.26

東北復興支援のあり方を考える(4)重要なのは風化させないための「関係作り」

いま改めて被災地とどう向かい合い、何をすべきか。(社)RCF復興支援チーム代表であり、復興庁政策調査官も務める藤沢烈氏、自らも被災者ながら災害ラジオ局やNPO(絆プロジェクト三陸)の設立・運営を通じて復興に携わる、大船渡市の佐藤健氏と、クロサカタツヤ氏の鼎談。(全4回)

2012.09.10

東北復興支援のあり方を考える(3)人が循環する流れまで作って、復興は完成する

いま改めて被災地とどう向かい合い、何をすべきか。(社)RCF復興支援チーム代表であり、復興庁政策調査官も務める藤沢烈氏、自らも被災者ながら災害ラジオ局やNPO(絆プロジェクト三陸)の設立・運営を通じて復興に携わる、大船渡市の佐藤健氏と、クロサカタツヤ氏の鼎談。(全4回)

2012.09.07

東北復興支援のあり方を考える(2)拡大するギャップを乗り越えるには

いま改めて被災地とどう向かい合い、何をすべきか。(社)RCF復興支援チーム代表であり、復興庁政策調査官も務める藤沢烈氏、自らも被災者ながら災害ラジオ局やNPO(絆プロジェクト三陸)の設立・運営を通じて復興に携わる、大船渡市の佐藤健氏と、クロサカタツヤ氏の鼎談。(全4回)

2012.09.06

東北復興支援のあり方を考える(1)支援も避難生活も、手探りではじまった

いま改めて被災地とどう向かい合い、何をすべきか。(社)RCF復興支援チーム代表であり、復興庁政策調査官も務める藤沢烈氏、自らも被災者ながら災害ラジオ局やNPO(絆プロジェクト三陸)の設立・運営を通じて復興に携わる、大船渡市の佐藤健氏と、クロサカタツヤ氏の鼎談。(全4回)

2012.09.05

[INTEROP TOKYO 2012]クラウド・OpenFlowで元気を取り戻した今年のInterop

今年のInteropについて、社団法人日本ネットワークインフォメーションセンター(JPNIC)インターネット推進部部長の前村昌紀氏にうかがった。

2012.06.22

「訓練でトリアージはやっていましたけど、実際に経験するとは思ってもみませんでした」石巻赤十字病院 阿部 雅昭氏(後編)

平時から「断らない救急」を掲げてきた石巻赤十字病院では、震災時もその姿勢を貫き通した。次々と搬送されてくる患者を受けいれるだけでなく、自衛隊の指揮所や市の災害対策本部としての機能まで担うことになった大混乱の中でも医療機関としての役割を果たせたのは、日頃の訓練があったからこそだという。(聞き手:クロサカタツヤ インタビュー実施日:2011年10月28日)

2012.03.23