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復興3.11からの復興、3.11からの学び

東北復興支援のあり方を考える(1)支援も避難生活も、手探りではじまった

いま改めて被災地とどう向かい合い、何をすべきか。(社)RCF復興支援チーム代表であり、復興庁政策調査官も務める藤沢烈氏、自らも被災者ながら災害ラジオ局やNPO(絆プロジェクト三陸)の設立・運営を通じて復興に携わる、大船渡市の佐藤健氏と、クロサカタツヤ氏の鼎談。(全4回)

2012.09.05

「訓練でトリアージはやっていましたけど、実際に経験するとは思ってもみませんでした」石巻赤十字病院 阿部 雅昭氏(後編)

平時から「断らない救急」を掲げてきた石巻赤十字病院では、震災時もその姿勢を貫き通した。次々と搬送されてくる患者を受けいれるだけでなく、自衛隊の指揮所や市の災害対策本部としての機能まで担うことになった大混乱の中でも医療機関としての役割を果たせたのは、日頃の訓練があったからこそだという。(聞き手:クロサカタツヤ インタビュー実施日:2011年10月28日)

2012.03.23

「津波で逃げた人がケータイを取りに戻ったというのは、何人も聞きます。それほどケータイは大事なんです」石巻赤十字病院 阿部 雅昭氏(中編)

電気と水道は本震から数日で復旧した。少し遅れたが2週間以内にはガスも使えるようになった。なのに通信事業者は何も言ってこないから、こちらからつてを頼って移動基地局を手配してもらうしかなかった──「ケータイは文字通り『命の電話』なのに、通信事業者は全く分かっていない」と、石巻赤十字病院の阿部氏は怒りをあらわにする。(聞き手:クロサカタツヤ インタビュー実施日:2011年10月28日)

2012.03.21

「通信がつかえない、かつマスコミも来てくれないでは孤立するという不安感」石巻赤十字病院 阿部 雅昭氏(前編)

東日本大震災で、津波で大きな被害を受けた宮城県石巻市。地域の中核医療施設として、また一時は庁舎の冠水で機能を失った石巻市役所に代わって災害対策本部となっていたのが石巻赤十字病院だ。テレビの報道番組で「食料が足りない」と必死に訴えていた病院スタッフの姿を記憶している読者も多いのではないだろうか。だがその姿は、緊急時にこそ必要な外部との連絡手段が「通信規制」によって断たれてしまった現場の、まさに窮余の一策だったという。石巻赤十字病院の阿部雅昭氏が語る、救命の最前線からみた災害時の通信のあり方には、あまりにも問題が多すぎた。(インタビュー実施日 2011年10月28日 聞き手:クロサカタツヤ)

2012.03.16

ISN公開セミナー「東日本大震災と自治体ICT」レポート【後編】

2011年11月25日に開催された公開セミナー「東日本大震災と自治体ICT」(主催:東日本大震災被災地自治体ICT担当連絡会(ISN))の模様を引き続きお伝えする。

2012.01.25

ISN公開セミナー「東日本大震災と自治体ICT」レポート【前編】

東日本大震災被災地自治体ICT担当連絡会(ISN)が主催する公開セミナー「東日本大震災と自治体ICT」が昨年11月25日、仙台市において開かれた。このセミナーでは、被災地自治体におけるICTがどのような課題に直面し、それを解決していったのか、また再び災害が発生した場合にどのような対応が可能なのかといったことについて、現場で立ち向かった担当者が自ら報告を行った。

2012.01.18

「仮設住宅に入って、どんどんと大変なことが見えづらくなって来ている」──陸前高田市 福田さん一家(後編)

震災後、避難所生活を経て仮設住宅に移った福田さん一家。仮設住宅に入居したことで、避難所にいた頃とは違う「困ったこと」がいろいろと出てきたという。被災者からは言いだしづらいことだからこそ、支援する側が自発的に動く必要がある。(インタビュー実施日 2011年10月1日 聞き手:クロサカタツヤ)

2011.11.24

「被災地以外が案外のほほんとしているのを見て、『これは言わなきゃいけないな』と思ったんです」──陸前高田市 福田さん一家(中編)

ケータイがつながらず、メディアの情報では被災地で何が不足しているのか、人々が何に困っているのかは分からない。今回の震災で、被災地の中と外をつないだのが、インターネットによる情報発信だった。陸前高田市消防団によるamazonのウィッシュリストを使った支援要請はネット上で広まり、福田順美(なおみ)さんのtwitterによる被災地情報の発信は海外にまで届いていた。(インタビュー実施日 2011年10月1日 聞き手:クロサカタツヤ)

2011.11.16

「地元で起こっていることなのに、私たちが一番知らない状況でした」──陸前高田市 福田さん一家(前編)

M9.0の本震とその後に続く津波が東北地方沿岸を襲ったのは金曜日の午後、家族がそれぞれの職場や学校で過ごしている時間帯。今回話をうかがった福田さんご一家もそうだった。ケータイがつながらなくなってしまった中、被災者はどのように互いの安否を確認していたのか、陸前高田市の消防団で震災直後から捜索活動にあたった父・福田賢司氏、職場で揺れを感じて同僚と一緒に逃げた母・操さん、学校から帰宅途中に友人と学校のグラウンドに避難した娘・順美(なおみ)さんに、当時の状況を聞いた。(インタビュー実施日 2011年10月1日 聞き手:クロサカタツヤ)

2011.11.09

「被災者が、何が欲しくて、何が必要かという情報がまったくなかった」──おおふなとさいがいエフエム運営責任者 佐藤 健氏(後編)

ケータイが使えない中、情報支援として送られてきたパソコンも、使いこなせる人のいるところに届くとは限らない。そんな状況の中、突貫工事で立ち上げられたおおふなと災害FMは、被災者の立場で、必要とする情報を発信する放送局として、多くの被災者の情報源となっている。マスメディアにはできない、災害ラジオ局の果たす役割について、運営責任者の佐藤 健氏に引き続き話をうかがった。

2011.10.18

「ケータイさえつながれば何とかなるってみんなが思ってた」──おおふなとさいがいエフエム運営責任者 佐藤 健氏(前編)

大地震と大津波が襲い、生活の基盤を全て失った被災者が生き抜くために、現場ではどのような情報伝達がされていたのか。また、最も必要とされた情報は何だったのか。被災者の立場から、臨時災害FMラジオ局で情報発信を続ける、おおふなとさいがいエフエム運営責任者の佐藤 健氏に話をうかがった。

2011.10.13

問題をどのように考えるか〜視座の設定

今回の連載をスタートさせるにあたって、視座の設定をしておきたい。震災の影響は多岐にわたり、また通信やメディアは被災者をはじめとした私たちの生活に、広く、深く浸透している。そのすべてを把握することは極めて困難である以上、「問題をどのように考えるか」を定め、また確認することが、平時に比べてより一層重要である。

2011.09.29