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協創の方法論について

「打ち合わせなど必要ないです。全部IM(インスタントメッセンジャー)やメールで済ませることができます」と豪語する人が情報通信業界には多い。またそのようなワークスタイルを礼賛するメディアも散見されるが、これは基本的に間違い、それもかなり大きな誤謬だと断言する。本当にIMだけで仕事が完結している人は、IMで完結できる程度の仕事に甘んじているに過ぎないと自覚したほうが良い。もしもあなたが創造的活動を目指すのなら、どうしても「他人」と「場」が必要になる。それにアドオンする形でネット空間が絡み合う、という順序が協創のためのプラットフォームになるはずである。

短期間の共同作業であろうと、長期間の共同研究であろうと、仕事で外部の人とペアを組む場合には仲良くならないことには話にならない、というよりも、そもそも仲良くならないことには一緒に仕事しようとは思わないだろう。協創(Co-Creation)の第一歩はまずは友人になることである。そして初対面の人と手っ取り早く友人になる方法に“共通点を探せ”という定番があることをご存知の方も多いはずだ。優秀なビジネスマンや研究者ほどこの些細な(=さほど大げさではない)ノウハウを多用している。

それなりの数の人が召集される会議の初会合などにおいては、隣に座る人は多くの場合他人である。会議開始の少し前に着席したとしよう。おもむろに名刺を交換することになるはずだが、まだ少し時間がある。雑談でもしていないと間が持たない。しかしこの隙間時間こそ有効に使いたい。どんな仕事をしているのかあたりから話題を展開していく中で何らかの共通点が見つかることがある。そもそも最初から(その会議の)テーマで絞られた人しか召集されてないわけだから、共通項が多い人たちが集まっている可能性は高い。

この時、その共通点の粒度(granularity)が細かいほど心理的な距離がより短くなる。例えば、同じ大学の卒業生であることが判明した程度ではさほどの感動などあるはずもないが、これが高校の同窓生であれば旧知の友人に遭遇したかのような親近感を覚えるはずだ。同様に、同じ横浜市民程度ではさほどのシンパシー(sympathy)は感じないが、お互いの自宅が歩いていける距離であればもはや親友も同然だ。その会議のことなどどうでもよくなり、“場を改めて”2人で何か面白いことを考えよう、ということで盛り上がること請け合いである。

この原則とよく似ているのが食事だ。“同じ釜の飯を食う”という行為は親密度を増強させるために極めて有効な手段であることは科学的に証明されている。同じ食材を近傍にいる人とほぼ同時に体内に取り入れるという協調行動がコミュニケーションの方法論としては相当強力であることを皆が知っているからこそ、こぞって接待や宴会に励むわけだ。加えて、日本語はオノマトペ(仏:onomatopee=擬音語・擬態語・擬声語)を含め、味覚を表現する言葉が400種類を超える世界に冠たる言語である(英語は70種類程度に過ぎない)。多様な言葉を駆使することでその共通点の粒度をより細かくすることができれば、心理的な距離はより一層短くなり、強い結合が発生する。初めてのミーティングで一緒にお茶を頂く瞬間から協創はスタートしている(注1)。

人と食事やミーティングをする時には心理的距離以上に、物理的距離がキモになる。当然のことながら近傍にいることが前提になる。対人距離(personal space)によりコミュニケーションの質や内容が変化することは、1966年に文化人類学者のホール(Edward. T. Hall)により近接学(proxemics)として明らかにされた。人のコミュニケーションは距離に応じて、密接・個体・社会・公共の4つの空間でゾーニングされるという(注2)。食事やミーティングは典型的な密接・個体距離におけるコミュニケーションである。しかも机やテーブルに対してどのように人が配置されるかでコミュニケーション品質は微妙に変化する。「人を説得したい場合はテーブルで対面して相手を追い込むのではなく、外に出て(一緒に)散歩せよ」というノウハウがあるが、これは密接距離であるにもかかわらず視線を合わせる可能性が低いことからメッセージが柔らかくなる効果を狙った行為だ(注3)。

このように、協創という行為においてはいかにして“場(field)”を積極的にデザインするかが重視される。場の量子論(Quantum Field Theory)に端を発するこの種の研究が私たちにも身近に感じられるようになったのにはクルト・レヴィン(Kurt Lewin)による「場の理論(=集団での意思決定)」が与えた影響が大きい。しかし日本はそのはるか昔から、千利休の例を持ち出すまでもなく、場のデザインなどいとも簡単に実践していた。現場でしか生成できない身体知に起因する価値創造を得意とする国民性は今でも失われていない。実際、1980年代に場の研究が世界的に再燃したときに最も注目されていたのが日本に他ならない。合気道、茶道、武道、あるいは日常の所作などで実践される協創的行為の仕組みを探りに欧米から複雑系(complex system)の研究者が日参していた時期があったのだ(注4)。

当時と比較して、現在の協創のための環境が厄介なのは、ネット空間と実空間でコミュニケーション環境が多重化されたことにある。同期/非同期をアレンジしなければならないと同時に、ネット空間が提供するUI(ユーザーインタフェース)がコミュニケーション品質を規定してしまう危険性もある(逆にこれがよくできていると想像もしていなかった展開になることもある)。日本の世界大学ランキングが徐々に地盤沈下しているのは2004年の大学法人化が直接的な原因だが、90年代から続くネットコミュニケーションリテラシーや(英語での)情報発信力の弱さにもその遠因があると思われる。ここを払拭できない状態のまま日本の明るい未来を想像するのは難しい。

この難題を実は日立製作所のエンジニア/リサーチャーは様々な方法を駆使することでクリアしてきたのではないか。であればその方法を教えていただきたい、というのがこの特集の趣旨である。当然、顧客協創方法論「NEXPERIENCE」のプロデューサもいずれ登場することになるだろう。協創はうまく成長させれば、最終的にはとんでもない売り上げになるが、その第一歩は所詮たった2名の人間同士の小さな出会いに過ぎない。そこで供されたお茶を一緒にいただくところから様々なストーリーが展開されていく。日立製作所のエンジニア/リサーチャーはどのように協創の場を生成し、実践してきたのかをレポートし、読者のみなさんの参考にしていただければ幸いである。

竹田茂 / WirelessWireNews発行人竹田茂 / WirelessWireNews発行人

注1)
例えば話し相手から唐突に「ラーメンでも食べに行こうか」と誘われると、それまで頭の片隅にさえ存在しなかったラーメンがその視覚イメージや味覚の記憶とともに急浮上するはずだ。これはミラーニューロン(mirror neuron)が起動するからである。ミラーニューロンは、他者の動作を見て、あたかも自分が動作しているかのように神経が反応する現象のことを指す(あるいはその神経細胞のことを指す)。これはいわゆる所作の模倣のみならず、言語獲得に重要な役割を果たしていると考えられている。したがって、「ラーメン食べたいなあ」と 言われるとこちらも食べたくなるのは極めて自然の摂理にかなった反応なのだ。ただしこれは政治的プロパガンダの普及にも応用可能なので、そのあたりの使い方(あるいはメディアにおける使われ方)には十分に注意したい。

かくれた次元注2)
かくれた次元(the hidden dimension )』エドワード・T・ホール(みすず書房、1970)
会議から都市計画までの空間利用の中に潜む構造を認知心理学的なアプローチで解き明かしつつ、国ごとに異なる文化についても異なる「次元」が存在することを説明する名著。すでに古書の範疇に入るが、今読み返して見てもなかなか新鮮な視座を提供してくれる。

注3)コミュニケーション
コミュニケーションとは言葉などを使って情報を交換することだと思われがちだが、現場にいる私たちが実施しているのは交換ではなく“揃える(アラインメント: alignment)”という行為である。3人くらいのオバさんの井戸端会議を観察していてわかることは、彼女たちが実際には情報交換などしていない(誰も他の2人の話を聞いていない)ということだ。話している内容はどうでもよく、むしろ同調することが目的になっていることがよくわかるはずである。最初はギクシャクしていたコミュニケーションもアラインメントを施すことで徐々に同調し、このときコミュニケーションが“成立”する(=仲良くなる)。同調というプロセスをスキップして共感に到達することはほとんどない、と考えて良い。

生命知としての場の論理注4)
『生命知としての場の論理』清水博(中央公論新社、1996)
武道の一つである柳生新陰流をサンプルに、そこで行われる場所的共創(この研究では協創ではなく共創の文字を使っている)の秘密を解き明かす書籍。以前の筆者の勤務先のすぐそばに清水先生が主宰する「場の研究所」があったことから、しばらくの期間日参させていただいたことがある。この打ち合わせ自体がまさに場所的共創の実践だった。

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